こんにちは、ヒャダルコ関口です。
先日、NETFLIXで『南極料理人』を観ました。
話の内容は、南極観測員として派遣されたオジサン8名の、狭い基地での日々の生活を追っていく話なんですけど、なんかめっちゃ面白かったんです。
内容をもう一度言うと、
男8人が毎日同じ仕事をして、飯食って、節分みたいなことして、帰国して終わりっていう、
文字だけだと金返せっていう内容なんですよ。
不治の病の高校生の恋愛話でもないし、
日々記憶が消えていく数学教師の話でもないし、
どうしようもない不良が甲子園目指す話でもありません。
手から蜘蛛の糸が出るヒーロー話でもありません。
なんでだろ?
って考えたんですけど、設定が上手い!と思ったんですね。
南極という誰も想像できない環境
南極に行ったことある人って僕の周りにいるんでしょうか?
いたらクセモンなので是非取材させてほしいんですが、
「南極の経験はありますか?」っていうアンケートがあったら、
基本的に100人いたら99.5人が、「行ったことない」にマルつけると思うんですね。
しかも、今回の映画では、『昭和基地』っていう、南極業界では有名な基地から最も離れた、しかも孤島にある『ドームふじ』という基地の話です。
標高3810メートル、外は氷点下54度以下、家族や友人との電話は1分740円。
ウイルスも死滅するくらい寒くて、病気にならないという。
そんな閉鎖空間でオッサン8名で共同生活って・・・考えただけでもイライラしますよね。
そんな、「メチャクチャ厳しい環境の中での日常生活」となると、
作品が急に刺激的なものに変化します。
「笑っちゃいけない」って皆さん面白く感じますよね。
あれも、笑ってはいけないというルールを設けたからこそ、
よりオモシロサが際立ってくるという。
そういう感覚に似ていますね。
私も大学時代ボート部で、80人くらいの男と毎日2回、一緒にお風呂に入ってました。
ボートコース(整備された川のようなもの)の岸に各大学の寮が並ぶんですけど、対岸のM治大学の寮に向かってフル〇ンしながら叫んだりしていました。
当時はそれが普通のように過ごしていましたが、今考えるとあり得ない生活だったなとしみじみと思います。
そんな、普段自分のいる環境と全く違う環境下にいる人間の生活となると、人はものすごく興味をもちます。
皆さん刺激がほしいんでしょうね!分かります。
題材から感じる、追体験を引き出す上手さ
この話の主人公は『南極料理人』というお題の通り、料理担当として海上保安庁
から派遣された人が主人公。
彼が作る毎日のご飯を時間軸に作品は進められていきます。
というか、毎日の変化が0に近い南極の孤島に住む隊員たちにとって、ご飯が唯一の精神安定剤みたいなところがあるようなのですね。
隊員の過酷かつ退屈な業務を見つつ、ぶりの照り焼きとかお刺身とか、ラーメンをめちゃくちゃ美味そうにほおばっている姿を見ていると、
こっちも食べたくなるくらい旨そうに見えるんですよ!!
料理としては食べようと思えば食べられる定番メニューなのに、
宝石を見ているような幸せな気分になってしまうのは、
隊員の気持ちに共感している、つまり追体験しているからなのだろうと考えています。
これが、『南極探検隊~ボーリング調査の実態~』とかいう題材になって、
毎日同じ氷柱を取り出す描写しか出されなかったら、何も感情が動かないのではないでしょうか。
(それはそれでマニアウケ良さそうなのが恐い)
皆が普段経験しているご飯の描写を軸にするからこそ、
「空腹が最高のスパイス」的な、過酷で退屈な状況がより際立ってくるということだと思います。
まとめ
映画のレビュー記事にみたいになってしまいましたが、
ここで言いたかったこと、それは
私たちの何でもなさそうな日常にも、
異常なことが転がっているんじゃないかということです。
自分のいる環境に身を置くと、人間は慣れて、異常であると思わなくなります。
でも、
伝え方や見方を変えると、
一気にそれは価値を持ったオモシロイものになるってことですね。
設定を変えてみることで、キャラとストーリーが自然と面白くなるという。
なんだか今後に活かせそうな、勉強になる映画でした。