こんにちはヒャダルコ関口です。
生態図鑑を作成していて、気付いたことや感じたことを書きます。
っていうかなんとなく感じていたことが、実際に記事にしていくにつれ確信的なものになっている状態です。
これクソ適当で読まなくていいヤツなんで気を付けてください。
ラーメン食べながら器用に読んでくれると嬉しいです。
※あくまでヒャダルコ個人の感想なので記事上部にあるLINE@でご意見募集中です。
寒くなってきましたね
結構多い気がします、情報を持ってる=オレスゲエみたいな人。
そうです、メラゾーマ鈴木も言ってますが、意識高い系です。↓コレ
「俺の知り合いには~がいて、その人の話では~なんだ。」
と、ドヤ顔でスゲエ人の名前を出して、
さも自分が発見したかのように語る人。
そんでもっていざ行動に移すかというと臆する人。
僕は話を聞いていて、「そんな人や、そんなことも知ってるのはすごい!」
とただ思うばかりでした。無知無知です。ワタクシムチムチ。
と、同時に「そんなに頭良いんだから自分でやってみりゃいいのに」
ってのは今では感じます。
生態図鑑のクセモンたち
一方で、生態図鑑に出てくるクセモンたちの話をゴリゴリ聞いていると、
皆さんに共通点があることが分かりました。
全員、
「自分の内面と深く対峙していること」
「やったろうっつって即行動」
です。
クセモンたちに、
今やっていることに「なぜ?」とウザイくらいに聞きまくって掘り下げると、
本質的に自分と向き合ってその道を選んでいる節があります。
恋する絵描きの福井ちゃんなんかはその極地です。
自分の記憶の奥底にある『感情』を絵というもので
表現するわけです。
並大抵の掘り下げ方ではできません。
DJ坊主も、ニューハーフも、筋肉ゴリラも、
皆「自分の感じたこと」を大事にしています。
ゴリラなんて、「何するのも自分次第」なんて
言っちゃってるわけです。
本能で良いこと言うゴリラです。
バカにできません。リンゴ食べてるから知恵が出てきたのか?(笑)
批評家だらけ?
義務教育経て高校卒業または大学卒業ってことは
6歳から18歳くらいまたは22歳くらいまで先生の監視下で勉強している中育ちます大体の人は
その間は
より多くの情報を得てインプットした人が
偏差値の高い学校に行くという
システムなわけですが、
こりゃ『批評家』生産工場にいれられてる状態だと思ってます。
僕もそこの工場出身です。
「こいつはここがダメダメよ~」
とかテレビの前でケツ掻きながらポテチ食べてる感じです。
情報を得てまるで世界を知ったかのような顔をして、
また新しい情報が出てきたらその情報を得るために情報を漁るのです。
何言ってるか自分でも分かりません。
皆知ってるのにおれ知らない。
こんな感覚になるのを恐れてるんですかね。
もしくは
これ知ってるのおれだけだわ~って優越感?
これとかんなアホなって感じですよね。
クセモンから学ぶ日高屋の美味しさ
彼らの判断の中には『情報』はありません。
自分が感じたものが判断基準になってます。
「この曲カッコイイ!」とか、「皆で筋トレ最高!」とか、
「キンタマオラァクソ虫が!」とかそんな感じなんです。
しかもまぁ、こういうのってちゃんと言葉にして相手に伝えるのは
難しいはずなのに、
よくもまぁ言語化してくれたもんです。
感謝っす。
僕もまだまだ道の途中ですが、
自分の人生を選ぶのは『情報』ではなく、
自分の『感情』や『感覚』といったものだと考えてます。
情報にあふれたこのご時世ですが、
判断するのは自分です。
そこに善し悪しは無いのです。
『イイ!!』と感じたらGOです。
それ以外に選択肢はありません。
それでやってみたら、思ってたのと違う感情が生まれたら
立ちどまって考えたり、
人の意見聞いたりすりゃ良いんです。
ってことでそんな感じのサロン作ります。
ってことでメラゾーマも少し言ってましたがそんな感じのサロン作ります。
感性を大事にしながら、皆で何か作り上げる。
サロンで現場を見た人はそこから何かを感じ、今後の人生に活きる。
それを記事にして笑いながら読んだ人はなんだか救われ、
心のゆとりをもって自分の人生を振り返る。
そんな感じでっす。
ワクワクが止まりません!
タイトルナニコレ
まぁ、要はまわり道は意外とまわり道じゃないんじゃないかということです。
自分の楽しいことをやっていたら見える世界があるって感覚で良いかなと思います。
スポーツやってると、「勝とう!」「勝ちたい!」って思ってやると
実力がでないことが多くて、
逆に「楽しもう」とか、「やっぱ好きやわあ」とか考えてると、
やがて無心になり、
実力以上が出たりするやつです。
勝利って目標に対して、勝つって意識することは一見近道だけど、
近道じゃないことがあります。
そんな感じです。
まだまだ未熟者ですが、行けるとこまで行ってみます~